機械式時計:2026年に発表された新作時計(随時更新)

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  • 2026.06.04 - 記事追加
  • 2026.05.18 - 初出

Audemars Piguet x Swatch Royal Pop (2026.06.04)

 Audemars PiguetとSwatchとのコラボレーション製品、Audemars Piguet Royal Oak風にアレンジしたカジュアルなSwatch時計「Royal Pop」が発表され、一部で熱狂的な反響があった。

 さまざまなことを考えてしまうが、大きく2点に言及しておきたいと思う。

 

 まず1点目はRoyal Popの影響についてである。
 WebChronosの記事中にもある「スウォッチがロイヤル オークの代わりになるわけではない」「将来のロイヤル オークの買い手をさらに増やす」という点には疑問がある。
 趣味趣向は個人によりそれぞれなのでRoyalPopを好む人もいるだろうが、(1) 高級時計に馴染みの無い人が手に取るか (2) 仮に高級時計に馴染みの無い人がRoyal Popを入手し・気に入ったとして、そこから本家Royal Oak購入に至る経路が解らない。
 同じくSwatchとのコラボレーションで話題となったOmega x Swatch MoonSwatchの場合、4万円のMoonSwatchを買った人が、Omega  Speedmaster Moonwatchの新品(100万円〜)や中古(50万円~)、非MoonwatchのSpeedmasterの中古(30万円~)で妥協すればを手にすることは想像に難くない。Omega Speedmasterは一般的な金銭感覚で高価ではあるが入手性は高く、Swatchと本家とで価格差も6~20倍ほどでハードルは高くないからだ。
 しかし、Audemars Piguet Royal OakはRoyal Popの100倍ほども高価で、しかも新品は正規店に行っても在庫は無いので手に入らない。購入待機者リストに参加することは可能かもしれないが、過去に購入履歴が無い人は優先順位が下げられるため、馴染みのない人が購入することは絶望的だ。

 もっとも、その懸念も恐らくは杞憂だろう。
 Royal Popは発売した瞬間に(転売屋を中心に売れて)完売してしまったためで、なぜ完売したかと言えば既にAudemars Piguet Royal Oakを知っている人(高級時計に馴染みがあり、一般的でない金銭感覚に慣れている人々)の注目を集めたからで、そもそも「馴染みのない人が購入する」というシチュエーションにならないからである。

 

 2点目としてはSwatchの売り方についてである。
 安価なAudemars Piguet・安価なRoyal Oakということで注目を集めているとも言えるAudemars Piguet x Swatch Royal Popだが、本当に安価かといえば一般的な庶民感覚ではまったく安価ではなく、概ねUS$ 420 / EUR 400 / CHF 385(日本では6万円ほど)である。
 Royal PopはSwatch製品だがQuartzではなく機械式である。ただしSistem51あるいはETA C10.111と呼ばれるSwatch専用のムーブメントを搭載しており、完全に自動で製造され・樹脂が多用され・一切のメンテナンス性が考慮されていないという特徴がある。

 もし筆者がRoyal Pop(ETA C10.111搭載)と先日購入したOrient Mako 40(Orient F6722搭載)とを比較するなら、後者の方が高品質で高付加価値に見えるが、世間的には、前者はCHF 390で即完売したのに対し後者はCHF 240で普通に販売されている。

 面白いのはSwatchがSistem51で実現した割り切り方と特性である。
 ETA C10.111は上述の通り使い捨ての粗悪なムーブメントと言って良いが、実はSeiko 4R/6R/8R・Citizen 08/09・Orient F6よりも精度は優れており、なんと日差が-5~+15 秒/日である。セイコー/シチズン/オリエントの低価格帯ムーブメントの日差が-15~+25秒/日程度であることを考えると精度の差は圧倒的だ。

 古典的には、ETAをはじめとするスイス製ムーブメントは製造後にEtachronやTriovisなどのレギュレーターを使ってバランススプリングの有効長を調整することで精度を調整(ファインチューニング)してきたため、日本製ムーブメントよりも高精度な場合が多い。それが、ETAは2000年頃から工場でレーザーによる調整に変更し、工場での自動での調整が可能になったと見られる。
 これに対し、日本製ムーブメントは多くの場合でレギュレーター自体を省き、大量生産・検査してファインチューニングを行わずに出荷している。これはスイス製と比較すると精度を期待することはできないが大量生産を実現するには適している。また、スイス製(Sistem51を除くと安価でもUS$ 150~)と日本製(US$ 35~)の価格差を考えれば妥当な判断と言えるだろう。

 そして「一切のメンテナンス性が考慮されていない」ことは悪いこととも言い切れない。実際、セイコー/シチズン/オリエントに普及価格帯の時計をメーカーにオーバーホールに出すと古いムーブメントから新しいムーブメントに交換されて返ってくるという話をよく聞く。オーバーホール費用が1.5~2.5万円ほど・安価なムーブメントが5000円ほどとするなら、専門職の時計師の膨大な時間を分解整備に費やすよりもムーブメント交換の方が経済的だから納得できる話である。
 そして、そこまで割り切るなら最初からメンテナンスを考慮しない設計にするというSistem51の考え方はおかしくないことになる。惜しむらくは見た目などが非常にチープな点だろうか。

Baltic x SpaceOne Seconde Majeure (2026.05.18)

 ユニークな機構と近未来的・Sci-Fi映画的な外観の時計を作るSpaceOneが、安価で高品質でより知名度はあるがデザインはオーソドックスなBalticとコラボレーションしだ時計Baltic x SpaceOne Seconde Majeureを発表した。

 要するにBalticのアンティーク風な外観とSpaceOneの複雑機構の組み合わせということなのだろう、一見するとBaltic的なステンレス製の円形のケースにレザー製のストラップというオーソドックスな外観だがJumping-hour時間表示と円盤が回転するタイプの分表示するカスタムモジュールが搭載されており、SpaceOneの設計力が活かされている。

 

 筆者は過去の投稿においても常々ムーブメントについて語ってきたが、なぜムーブメントに拘るかについてはBalticの製品ラインナップとBaltic x SpaceOne Seconde Majeureとを見比べれば一目瞭然である。
 筆者に言わせれば「汎用ムーブメントでデザインが制限・固定化される」言い換えれば「ムーブメントまたはモジュールを内製化できることで初めてファッション性の自由が解放される」ということなのである。退屈な時計を作っていたBalticは、SpaceOneの技術を適用することでこれほどのモノを作れる、それがBaltic x SpaceOne Seconde Majeureである。

 

 個人的に意外で興味深いのはケースがステンレススチール 904Lという点である。
 時計のケース・ブレスレット素材としてはステンレススチール 316Lが一般的で、ステンレススチール 904Lは硬度が高く加工が難しく高価でRolex「Oyster Steel」の名称で広く採用していることで知られる。硬度が高いということは傷がつきにくく表面のポリッシュの状態を保ちやすいという意味で、普通(316L)の時計よりもキラキラ輝いて見えるとしても目の錯覚などではない。
 ここにダイヤルの金色・ベージュのストラップという組み合わせたBaltic x SpaceOne Seconde Majeureはドレスウォッチを強く意識しているように見える。

 Balticは高品質で低価格な時計メーカーとして知られるが、あえて悪く言えば外観はオーソドックスな何処にでもある時計である。そもそも創業者は時計師ではなくムーブメントは無改造の汎用品を載せただけ、それもスイスのSellitaやSoprodだけでなくシチズンMiyotaや中国SeaGullまでゴチャ混ぜといった調子である。ちなみにBalticは3針の時計はCHF 1000以下・クロノグラフはCHF 1500ほどの低価格ブランドである。
 他方、SpaceOneは高度なカスタム設計モジュールとチタン合金製ケースの組み合わせは奇抜で魅力的だが、外観がSci-Fi映画のように突飛でTPOと所有者を選ぶ。現行SpaceOneのラインナップは機構の面白さに反してケースなどのデザインはややワンパターンという印象が強い。

 もし、高品質な素材による良質な外観と高度な機構を併せ持ち、そこそこの価格帯のドレスウォッチを作るとしたら、Balticだけだとオーソドックスで低価格な普通の時計になってしまうし、SpaceOneだけだと機構は凝れてもブランドのコンセプトとは合わないし、もしかしたらSpaceOneの人は良い意味でオーソドックスな外観をデザインできないかもしれない。両社のコラボレーションによる良いとこ取りという意味では良い線いっていると思う。

 日本円が過去10年間に渡り暴落し続けているため高価に思えるがCHF 2500という価格は現地なら25万円ほどの感覚(日本円だと50万円近いが…)で、凝った時計としては高くないが、従来のBalticの時計では到底無理な価格設定である。

 ドレスウォッチというと、多くの場合はシンプルな外観を持ち、代わりにケースの素材が貴金属だったり薄型だったりするが、必ずしも機構がシンプルである必要はない。機構の複雑さと外観の複雑さは比例しないからで、ドレスウォッチの最高峰Patek PhilippeやVacheron Constantinが複雑機構を得意とすることも頷ける。
 恐らくBaltic x SpaceOneは、Seconde Majeureを複雑な機構を取り入れたドレスウォッチとしてデザインしたのだろう。機構としてはSpaceOneでは御馴染のETA 2824-2互換のSoprod P024をベースにSpaceOneの時計師が開発したカスタムJumping-hourモジュールを搭載する。

 腕時計というファッションアイテムの都合上単純には比較できないが、近い立ち位置のブランドによる汎用ムーブメントにカスタムJumping-hourモジュール搭載という類似した構成の時計というとChristopher Ward C1がCHF 2700、M.A.D Edition M.A.D 2がCHF 3000ということを鑑みれば価格設定そのものは至極真当(というか、メジャーブランドの価格設定を鑑みれば極めて良心的)と思う。
 個人的には外観は一長一短と思われ、表示の面白さはM.A.D 2が優れるが遊心が溢れ過ぎでTPOを選ぶ。TPOを選ばないのはChristopher Ward C1で機構も優秀だが地味で面白みに欠ける。Baltic x SpaceOne Seconde Majeureはシルバー x ベージュの高級感と落ち着きある外観とは不釣り合いに機構を見せびらかしたダイヤルで意外性がある。
 ちなみにムーブメントはいずれもETA 2824-2互換サイズにJumping-hourモジュールという組み合わせながら三者三様で、M.A.D 2はLa Joux-Pereet G101・Christopher Ward C1はSellita SW200-1・Baltic x SpaceOne Seconde MajeureはSoprod P024と三者三様である。

 上述の通り、Baltic x SpaceOne Seconde Majeureはなかなか興味深い時計だと思う。ただ、筆者が個人的にを買うか?というと迷った末に買わないと思う。
 筆者はドレスウォッチをあまり使わないが持っている時計で足りているし、面白い時計なら他にも色々とある。筆者のような予算や保管場所に限界がある庶民として買う/買わないを厳選すると、Baltic x SpaceOne Seconde Majeureは買わない側になる。

 

Louis Erard Esprit Flinqué (2026.05.18)

 個人的には、Louis Erard Esprit Flinquéで創意工夫に驚かされた。
 先述のBaltic x SpaceOneでも述べたが、汎用ムーブメントを使うと時計のデザインは固定化され自由を失いがちだ。もちろんダイヤルの色や模様や針の形状など緻密な部分を凝ることは可能だが、MB&FやUlysse Nardinを観るまでもなく、自由にムーブメントを操れるメーカーこそが自由なデザインを決定できる。

 筆者の知る限りLouis Erardにムーブメントの設計能力は無い。
 奇抜な外観のデザインで知られるLouis Erardが得意とするのは、実は(Manufacture AMTですらない)Sellita製の汎用ムーブメントを無改造で使った時計で、多用されているSellita SW266を使った時針・分針・秒針が12時方向から6時方向に縦に並んだ時計である。Monochromeの記事の写真を見て頂けると解り易いだろう。時計の写真が3個並んでいるうち左から順にSellita SW261・SW266・SW500MPCaである。針がすべて中央にある時計と比べると採用例こそ少ないが汎用製品の枠を出ない。

 

 しかし、Esprit FlinquéでLouis Erardは時間と秒の表示に針ではなくディスクを用いることで、これまでとは異なった新しい外観を獲得した。実際には使用しているのはいつものSellita SW266なのだが随分と印象は異なる。

 ただ、筆者個人としてはいろいろと不満がある。
 まず、個人的には秒(6時位置)と分(中央)の位置は逆が良いと思う。Esprit Flinquéのダイヤルを見たら中央の針で指しているのは秒でディスクで指しているのは時・分であるべきだと思うわけである。
 というのも、1秒間はほぼ一瞬であるのに対し1時間・1分間には長大な間があるためである。例えば10時00分だろうが10時59分だろうが時間表示は10時という範囲なのである。だから時刻を表示するのに点=針ではなく面=ダイヤルを使うことは理にかなっており、同様のことは分表示にも言える。対して秒は頻繁に変わるからダイヤルの中央で点=針で指した方が判りやすい。とはいえ、ムーブメントが無改造のSellita SW200系ムーブメントにそんな仕様のムーブメントは存在しないため無改造では不可能である。
 また、もし秒をダイヤルを回転させて表示させるとしたらスーッと滑らかに動くスイープ運針を採用して欲しいところだが、ムーブメントが無改造のSellita SW266では4Hz(0.25秒毎)のステップ運針というのは残念だ。

 上述した筆者が考えるEsprit Flinquéのデザインの残念な部分について、Louis Erardが筆者の意見に同意してくれるかは不明である。だが仮に同意してくれたとしても、そもそもLouis Erardにはムーブメント開発能力は無く、Sellitaの汎用ムーブメントにそんな仕様のムーブメントは存在しないので技術的に解決不可能である。

 

 デザイン以外で残念な点は価格で、Louis Erardは本作に限らず汎用ムーブメント採用ながら相対的に高価である。
 Esprit Flinquéのスイスでの価格=CHF 3900(税抜。現地人の感覚では39万円ぐらい)でもSellita SW200系ムーブメント搭載機としては十分に高いが、円が大暴落した日本での価格は1,056,000円だという…(絶句)。ただし、現在の為替レートでCHF 4000=JPY 81万に代理店の手数料+約20%・消費税+10%を加えると計算の辻褄は合うので理不尽な価格設定ではない。

 先述の、独自の表示機構のためにカスタムモジュールまで開発したBaltic x SpaceOne Seconde MajeureがCHF 2500で、汎用ムーブメント採用で表示が残念なLouis Erard Esprit FlinquéがCHF 3900というのは、イマイチ納得がいかないところである。

 

Casio Edifis EFK-110 (2026.05.18)

 カシオが昨年同社初の機械式時計として発表した「EFK-100」後継(?)として「EFK-110」を発表した。

 ここでの疑問は、ムーブメントがEFK-100のセイコーNH35からEFK-110ではシチズン Miyota 8215に変更され微妙にダウングレードされた点だ。いずれも高信頼性・実用性重視・大量生産ムーブメントで一概に甲乙つけ難いし、5万円カシオEdifisの想定されるエントリーユーザーが気付くレベルの差異とは考え難いが、それでも信頼性・精度・価格を客観的に見るとダウングレードと言わざるを得ない。

 

 本節の主旨としては、この疑問を某大規模言語モデルとブレーンストーミングした結果行き着いた結果(予想)である。
 詳細は後述するとして、結論から言えば最初の機械式モデル=NH35搭載EFK-100はリスクが非常に低い堅実な製品だったが、次のモデルとしてシチズン Miyotaに乗り換えることによりコスト抑えつつ、Miyota 8000系搭載の下位モデル=EFK-110とMiyota 9000系搭載の上位モデル(未発表)のファミリー展開が可能になった、という予想が成立する。

 

 まず、Miyota 8215搭載EFK-110は一見するとEFK-100を小型化しただけで酷似するがコストダウンの痕跡が随所に見て取れる。

 まず、供給数量や契約内容で大きく変動するため正確な価格差は不明だがNH35とMiyota 8215とでは後者の方が安価(※恐らく10%程度安価)なはずであるが、それ以上に興味深いのはEFK-110の外観はMiyota 8215をほぼノータッチで載せていることを示唆している点である。
 例えば、一般的に時計メーカーはムーブメントサプライヤーから供給される「半完成」ムーブメント=エボーシュ標準搭載のローターからブランドロゴ入りのローターに付け替えることが多いが、EFK-110搭載のMiyota 8215は「CASIO」ロゴを印刷しただけの標準搭載ローターで済ませている。しかも、この印刷も恐らくMiyota側が工場で「Miyota」「Japan」などと共に印刷してからカシオに供給しているのだろう。
 また、文字盤の日付の表示位置がEFK-100の6時位置からEFK-110では3時位置に移動したが、これによりエボーシュに標準搭載の日付ディスクから交換が不要になった。日付表示は基本的に数字のディスクをカスタマイズすれば文字盤の何時方向の位置でも設定可能だが、6時位置方向だと数字の印字向きの都合からカシオ側で日付ディスクを交換する必要があるのに対し3時方向だと標準搭載の日付ディスクをそのまま使用できることになる。

 

 EFK-100からEFK-110への更新で、セイコーNH35からシチズン Miyota 8000系への載せ替えに加え、上述のような工夫によりコストダウンに成功しているわけだが、これは上位モデルやファミリー展開への布石にも見える。そもそも、素朴な疑問としてEFK-100からシチズン Miyotaムーブメントを採用した後継モデルを作るとしたらNH35より低スペックで1970年代設計のMiyota 8000系よりもNH35より高スペックで2010年設計のMiyota 9000系ムーブメントを採用するのが自然に思える。それでも敢えてMiyota 8000系を採用するなら他の目的があったと見る方が自然だ。
 例えば、シチズン Miyota 9000系ムーブメントを搭載することにより上位モデル・やMiyota 6000系ムーブメントを搭載することにより婦人用小型モデルを用意できることに加え、豊富なMiyota 8000系・9000系ムーブメントにより多機能モデルを用意できる。例えば9075搭載GMTモデルや9100系搭載クロノグラフなどである。一部はセイコーNH系・NE系でも実現可能だがシチズン Miyotaはバラエティーが豊富に見える。

 

機械式時計:アウトドア用機械式時計の検討(Orient Mako 40)

動機

 筆者はスイスに移住してからスキーやハイキングといったカジュアルなアウトドア活動に取り組んでいる。

 スイスには風光明媚な名所が都市から公共交通と徒歩の日帰り旅行で容易にアクセス可能な場合が数多く存在しており、運動不足解消も兼ねたアウトドア活動は手軽でポピュラーなレジャーである。もちろん、体力には個人差があるため筆者の場合は具体的にはスキーやハイキングトレッキング程度でクライミングなどは行っていない。

 本稿で扱っているのは、あくまでもカジュアルなアウトドア活動で使用する機械式時計(ツール兼ファッションアイテム)で、もちろんクライミングをするならCasio Pro TrekやGarminなど・スキューバーダイビングをするならダイブコンピューターなど用途に適した装置を使用すべきである。時計機能だけなら機械式時計でも十分かもしれないが、GPS・方位・高度/深度・気圧/水圧・気温/水温・心拍数・バックライトなど人命の安全に関わる機能が豊富で機械式時計ではまったく代替にならないためだ。

 従って、本稿の主旨はカジュアルなアウトドア活動用の機械式時計(ツール兼ファッションアイテム)の検討・購入とレビューとなる。

 

フィールドウォッチとしてのダイブウォッチ

 筆者は現時点ではダイブウォッチ=Tudor Black Bay Fifty-eight  925のバンドを、いわゆるNATOストラップに付け替えてフィールドウォッチ代わりに使用しているのだが、アウトドア活動ではダイブウォッチの性能は意外に優秀だ。
 もっとも、1970年代に登場した最も有名なフィールドウォッチ=Rolex Explorer IIと同社のダイブウォッチ=Rolex Submarinerとではベゼルなどの細かい差異こそあるものの両者のスペックや外観は酷似しているし、昔の著名な探検家=植村直己氏もセイコー ダイバーを愛用していたことで知られる。ダイブウォッチをフィールドウォッチとして使うというアイデア自体は新しいものではない。

 実際、アウトドア活動で使用する時計を考えると、スキーやハイキングで雪や川に水没する可能性があるので一定以上の防水機能は必須だし、インデックスは暗所でも歩きながらでも視認できる必要があるし、何かに衝突したり防水ジャケットの袖の金具などで引っ掛かる可能性があるため剛性も重要であるが、ダイブウォッチはいずれも非常に優れているので納得できる。
 逆にフィールドウォッチの利点が解り難い。最も有名なフィールドウォッチ=Rolexの場合はExplorerとExplorer IIとでは随分と性格が異なるし、セイコーもダイブウォッチとは別にフィールドウォッチとしてAlpinistシリーズをラインナップしたりている。

 そもそもフィールドウォッチもダイブウォッチも1960年代から軍隊に納品される形で開発され別系統で進化したが、1980年代にクォーツの普及により軍隊への納品ごと止まった経緯がある。個人的な疑問としては科学技術が進みデジタルクォーツが普及・ダイブウォッチが進化・低価格化した現在でもフィールドウォッチを使い分ける必要性の有無である。
 某大規模言語モデルによると、フィールドウォッチには以下の利点があったようだ

  • 視認性の高さ … ベゼルが細いためダイヤルの直径が大きく視認性が高い。インデックスがアラビア数字表示
  • 薄さ・軽さ … 袖や周囲の岩などに引っ掛かりにくい、NATOストラップとの相性が良い
  • 重心の低さ … 長時間の着用でも疲れにくい。腕の上で暴れ難い

Rolexでいうと本来の古典的なフィールドウォッチとしてRolex Explorerがあるが、暗所での高視認性・高防水性・高耐久性・手袋着用状態での操作性…といった万能スポーツウォッチを追求していくと結果としてRolex Explorer IIのようにダイブウォッチのフォーマットに近くなってしまうようだ。いずれにせよ、性能面では現在ではデジタルクォーツの方が優れている。

 

 上述の通り筆者はTudor Black Bay Fifty-eight 925を使用しているが、この時計の問題は性能以外の面でアウトドア活動に適していない点である。ケースがシルバー925製で剛性は高くないし、さらに時計本体が60万円(CHF 3000)ほどするため、誤って破損・紛失してしまわないよう気を付ける必要がある。

 従って、本稿の主旨は「Rolex Explorer IIのような性能の安価なフィールドウォッチの入手」となり、以下の要件を満たすものとする:

  • ファッションアイテムとしてデザインが優れた機械式時計であること(単に性能重視ならCasio G-Shockあたりが最適である)
  • 剛性と防水性能が高いこと(ダイブウォッチ相当を想定)
  • 高い視認性のダイヤルをもつこと(ダイブウォッチ相当を想定)
  • 破損・紛失のリスクを鑑み安価であること(他のハイキング・スキー用品の価格帯を考慮すると〜5万円程度が妥当)
  • NATOストラップに交換可能であること
  • GMT機能は一般人のアウトドア活動では不要

 

機種選定

 まず検討したのはSeiko Prospex Diver "Save the Ocean"(Japan SBDC221 / Global SPB545J)で、セイコーらしからぬ鮮やかな色彩で個人的には非常に好みである。
 やや難があるとすれば価格で、実売価格で20万円程度(CHF 1000)はアウトドアで雑に扱えるほど安価でもない。セイコーの場合4R系ムーブメントを搭載した下位モデルが10万円(CHF 500)以下でも手に入るが、個人的に好みの外観のモデルが見つからなった。

 

 そんな中で見つけたのがOrient Mako 40(RA-AC0Q07V10B)である。
 オリエントMakoはダイブ「スタイル」ウォッチであってダイブウォッチではない。基本的な構造はダイブウォッチに準じており基本性能もしっかりしているが、防水性能はISO 6425規格に準拠しておらず日常生活用強化防水Ⅱだったりと実はダイブウォッチの要件を満たしていない(ちなみに、同じオリエントでもOrient StarブランドのM42 DiverなどはISO 6425準拠である)。
 「ダイブウォッチのISO規格の要件を満たしていない」というとネガティブに聞こえるかもしれないが実用性は高い。そもそも上述の通りスキューバーダイビングにはダイブコンピューターを使うべきなのでRolex SubmarinerやOmega Seamasterなどのダイブウォッチはスキューバーダイビングではなくサーフィンやシュノーケリングに適した時計と言えるが、オリエントMakoもダイブウォッチが備える性能は備えているため同様にサーフィンやシュノーケリングに適した時計である(参考 1参考 2)。

 オリエントMakoの最大の魅力は価格で、実勢価格で5万円程度(CHF 250。欧州在住者の金銭感覚では2.5万円ぐらい)で入手可能で、道具=傷がついたり数年間で使い潰すかもしれないといった用途でも使い易い。

 

 以下はRolex Explorer IIをリファレンスにSeiko Prospex 1965 Diver・Prospex AlpinistおよびOrient Mako 40を比較したものだが、スペックはやや劣るもののアウトドア活動での実用上は問題ない程度と判断できる(Orient Mako 40のレザーバンド版RA-AC0Q07Vの重量が未記載のため、メタルブレスレット版RN-AC0Q06Vのスペックを記載)。

  Rolex Explorer II Seiko Prospex 1965 Diver (SBDC221) Seiko Prospex Alpinist (SBDC209) Orient Mako 40 (RN-AC0Q06V)
Waterproof 100m
(Not ISO certified)
300m
(ISO 6425 certified)
200m
(Not ISO certified)
200m
(Not ISO certified)
Movement Rolex 3285 Seiko 6R55 Seiko 6R55 Orient F6722
Accuracy -2-+2 sec/day -15-+25 sec/day -15-+25 sec/day -15-+25 sec/day
Power reserve 70 hours 72 hours 72 hours 40 hours
Complication GMT, Date Date Date Date
Case Stainless steel (904L) Stainless steel (316L) Stainless steel (316L) Stainless steel (316L)
Glass Saphire crystal Saphire crystal Saphire crystal Saphire crystal
Dimensions
(diameter x lug-to-lug x thickness)
42.0 x 50.0 x 12.3 mm 40.0 x 46.4 x 13.0 mm 39.5 x 46.4 x 12.7 mm 39.9 x 46.5 x 12.8 mm
Weight 158.0 g 174.0 g 147.0 g 165.0 g
Price (approx) US$ 10,600 US$ 1,500 US$ 650 US$ 300

 セイコーProspex Diver(Seiko 6R系ムーブメント搭載)やオリエントMako(Orient F6系ムーブメント搭載)の一般的な評価として信頼性と耐久性には定評がある一方で精度に関してはやや評価が低い。しかし、活動期間が数週間~数ヶ月間に及ぶような場合はともかく日差-15〜+25秒(1週間でも最大5分弱/週)という誤差はカジュアルなアウトドア活動では実用上は問題がない。

 

Orient Mako 40 RA-AC0Q07V10B

 前節では主にスペックについて書いたが、本節では外観や操作感について見ていきたい。

 筆者はTudor Black Bay 54 Lagoon BlueやOrient Mako 40 RA-AC0Q07Vのようなデザインが好きだ。まるで中央に宝石が据えられた指輪のように銀色のケースと鮮やかなダイヤルの組み合わせが実に魅力的だ。ダイブウォッチの実用性とファッション性とを高いレベルで両立していると思う。

 実は筆者は多くのダイブウォッチはベゼルの色が不必要に派手だったりインデックスや針が不必要に歪な形の時計で好きではない(例えばここのランキングでいうと3位~1位の針やインデックスなどは醜悪だと思う)。もちろん、安全性の都合から目立つ色や大きなマーキングは必要なのだろうが、例えばインデックスのマーキングも○△◇のようなシンプルな図形の組み合わせで十分で意味不明に幾何学的な図形を使う必要性はまったく無く、Omega SeamasterTudor Pelagosのように見易いベゼル・ダイヤルと簡素な外観のデザインとは両立し得る。その点でもOrient Mako 40も優れたデザインだと思う。

 

ダイヤル、ベゼル

 ダイヤルの12時方向にはメーカーのロゴが印刷されているが、筆者はMako 40のメーカーロゴはライラック色のダイヤルでは控え目で悪目立ちせず好感を持てる。

 Rolexは視認性を高めるためExplorer・Explorer IIではダイヤルを黒色で統一してきたが、Orient Mako 40のライラックもインデックスとのコントラストが高く明所での視認性は良好だ。ただ、暗所でも視認性は悪くないが本職のダイブウォッチと比較するとやや劣る(左:Tudor Black Bay Fifty-eight、右:Orient Mako 40)。


 ベゼルはインサートの無いステンレス一体型で、印刷によるマーキングはあるが12時位置に蓄光塗料は無いので暗所では視認が難しい。これはダイブ「スタイル」ウォッチとしての割り切ったデザインであろう。実際にベゼルを使うとしたらダイブウォッチとしてよりもフィールドウォッチ的な使い方が妥当かもしれない(キッチンタイマー代わりとか)。

 ベゼルの操作は過去のオリエントMakoシリーズよりも改善しているようだ。過去のオリエントMakoの一部モデルではベゼルを回すとダイヤルのインデックスと位置がズレるといったこともあったようだがMako 40では特に問題なく、また、回転操作が固くなっており誤操作を防止できる。個人的にはベゼル1周あたりのクリック数がインデックス1目盛あたり2クリック(1周60分で120クリック)というのは不思議だ。

 

ケース

 ケースは過去のオリエントMakoシリーズよりも仕上げが改善されており、上部がサテン仕上げ・サイドがポリッシュ仕上げ、ベゼルもサテン仕上げとポリッシュ仕上げが使い分けられ、本体がステンレスのシルバー1色であってもモダンで立体的な造形になっており表情豊かだ。

 リュウズガードが省かれていることから、(1960年代初期のリュウズガードが無かったダイブウォッチを踏まえ)「クラシックな外観」と評されることもあるが、そもそもオリエントMakoはダイブ「スタイル」ウォッチでスキューバーダイビング等で使用されない前提なので、ねじ込み式リュウズだけで十分という判断なのだろう。

 Orient Mako 40は特に高級感があるわけではないし、よく見れば細部の造りの甘さはあるものの、ツールウォッチとして全体的によく出来ており価格が10倍以上も違うOmega Seamaster 300MやTudor Black Bay Fifty-eightなどと並べてみても違和感を感じるような安っぽさはない。

 

風防

 過去のオリエントMakoシリーズやセイコー ダイブウォッチの下位モデルにはミネラルガラス風防のモデルも多いが、Orient Mako 40はサファイヤクリスタルが使用されていることも耐久性の観点から重要だ。

 高級腕時計の風防のサファイヤクリスタルはベゼルから盛り上がったものが多い中でOrient Mako 40はベゼルから高さがフラットであるが特に気になるものでもない(左:Tudor Black Bay Fifty-eight、右:Orient Mako 40)。恐らくはコストダウンのため同じ直径のモデルで共通化されているのだろう。

 

その他、不満点など

 Orient Mako 40 RA-AC0Q07Vで残念な点のひとつは直径が40mmもあることだ。これでも歴代オリエントMakoの中では2mmほど小さくベゼルも傾斜しているため数字以上に小さく見えるが、36mmぐらいまで小さくしてユニセックスモデルとした方が良かったのではないか(ちなみにTudor Black Bay 54は36mmである)。もっとも、筆者はフィールドウォッチとして使用するためダイヤルの直径が大きいことは視認性という意味では利点でもある。
 もうひとつ残念な点は、後述する標準添付のレザーバンドの質が悪い点である(詳しくは次節で触れるため割愛)。

 

ムーブメント:Orient F6722

 オリエントはムーブメントという観点ではあまり面白くない。枯れた技術で必要十分な性能を低価格で満たしたムーブメントである。

 オリエントの現在のムーブメントはOrient Star F8/F7/F6系・Orient F6系となっているが、これらの基本設計は共通で元は昭和46年(1971年)に設計された46系ムーブメントの改良版である(この辺りはWebChronosに詳しい)。
 そして、この46系ムーブメントは当時オリエントが精工舎からOEM供給を受けていたSeiko 70系ムーブメントをベースにオリエントが開発したものである(知財という概念が希薄な時代だったのだろう…)。その後セイコーは70系を7S系まで改良したのち現在では発展形の6R系・4R系が登場しているが、一方のオリエントはセイコーエプソンによる買収後に46系を改良したOrient Star F8/F7/F6系・Orient F6系が誕生している。
 上述の時計でいうとSeiko Prospex 1965 DiverはSeiko 6R55・Orient Mako 40はOrient F6722をそれぞれ搭載しており、非常に乱暴に言えば両者の搭載するムーブメントは「従兄弟」的な位置関係と言える。以下はSeiko 70系由来のSeiko 4R系・6R系とOrient Star・Orientムーブメントの性能的な比較であるが、セイコー6R系・4R系と比べても健闘しているのが解る。

  Manufacture Accuracy Power reserve
Orient Star F8 Seiko Epson -5-+15 sec/day 60-70 hours
Orient Star F7 Seiko Epson -5-+15 sec/day 50 hours
Seiko 6R55 Seiko (SII, TMI) -15-+25 sec/day 72 hours
Orient Star F6 Seiko Epson -15-+25 sec/day 40-50 hours
Orient F6 Seiko Epson -15-+25 sec/day 40 hours
Seiko 4R55 Seiko (SII, TMI) -20-+40 sec/day 41 hours

もっとも、普及価格帯クラスの6R系・4R系の上に高級ムーブメント=9S系・8L系・6L系があるセイコーに対し、オリエントではローエンドからハイエンドまで全部が46系の改良版なので面白みは少ない(構造的にはほぼ同じで、工作精度や素材が違ったり、装飾が施されている点が異なる)。もっとも、モダンで高性能ムーブメントの研究開発への投資が少ないからこその低価格なのかもしれないが。

 

ストラップ交換

 Mako 40 RA-AC0Qシリーズの標準添付のバンドはメタルブレスレットも含めて総じて評判は良くないが、RA-AC0Q07V10BおよびRA-AC0Q05Pに標準添付のレザーストラップはビニールっぽい質感で評判は非常に悪い。
 今回は、アウトドア活動用1本・日常使い用2本の計3本を入手してみた。

ベージュ / ナイロン / Hook & LoopタイプNATOストラップ
 ベルクロで長さを調節するHook & LoopタイプのNATOストラップ。
 手前側に伸びたベルクロで調節するため濡れたスキーグローブでも調節が容易で、構造上ベルトの最大長を長く取り易く分厚いジャケットの上からでも留め易い(この例では長さ39cmもある)。
 ダイブウォッチをフィールドウォッチに対する弱点のひとつがNATOストラップとの相性である。ダイブウォッチは防水性の確保のため分厚くなりがちで、時計本体の下側を通すNATOストラップでは重心が高くなりやすい。ベルクロタイプのNATOストラップの利点のひとつは腕への固定を無段階に調節可能で、運動中に時計が腕の上で暴れるという問題にはならないだろう。
 写真ではスキー用ジャケットの袖の上に装着している。長さ39cmなので袖の上からでも問題なく固定できている。

ダークブラウン / スウェード(牛革)/ NATOストラップ
 日常使いする場合に備えて持っておくストラップ(その①)。
 NATOストラップタイプだが、スウェード製でピンバックルで留めるタイプである。日常用ストラップなのに一般的なツーピースではなくNATOストラップタイプを選択したのは、Mako 40のバネ棒を固定したまま上述のナイロン製NATOストラップ交換可能するためである(Tudor Pelagos FXDのような運用を想定)。
 率直に言って、このストラップはハズレだった。時計本体の下にベルトが通る構造のため時計の重心が高くなるが、素材が柔らかいため腕への固定が甘くなり時計が腕の上で暴れ易い。写真ではシャツとジャケットと組み合わせてみたが、時計本体の厚みが12.8mmありストラップで+2mmほど増えるため、シャツの袖と干渉してしまう。素材が柔らかいためベルトの余分な部分が収まらずにヒラヒラしているのも美しくない。ビジネスカジュアルでの使い方も想定していたのだが、スウェードの締まらない外観的にもビジネスには不適だろう。

ジュビリー / ステンレスブレスレット
 日常使いする場合に備えて持っておくブレスレット(その②)。
 Mako 40 AC0Qの一部モデルにはステンレスブレスレットが標準添付されているが、RA-AC0Q07V10Bにはレザーストラップしか添付されていないため社外品を入手してみた。標準添付のブレスレットはオイスタータイプだが、Tudor Black Bay 54 Lagoon Blueのマネでジュビリータイプを選んでみた。
 ここでの問題はOrient Mako 40対応を謳う社外品の代替ブレスレットがほとんど無いことで、公式にMako 40に対応するのはStrapCode(US$ 90。US$ 250の時計と組み合わせるには高価)ぐらいしかない。筆者が入手したのはRedditで使用可能であることが確認されたものでMako 40専用ではないためラグのギャップやカーブは微妙に合わない(約US$ 60)。AliExpressやeBayなどを探せばもっと安価で見つかる可能性はある。
Orient Mako 40のケースは12.8mmのためブレスレットではシャツとジャケットとの組み合わせでもギリギリ袖に引っ掛からずに着用できる。
上述の通り、Orient Mako 40専用ではないためラグのギャップやカーブは微妙に合っていないことが判る。
 使い方の幅を広げる意味でブレスレットを入手したが、バネ棒を外す必要があるためNATOストラップとの運用との組み合わせは良くない。

 

備考:メンテナンス費用問題

 実は筆者は、過去このクラスの時計の購入を避けてきた。その理由はメンテナンス時の費用対効果の低さである。

 機械式時計は概ね5年毎程度の間隔でメンテナンスが必要とされ、3針で約2.5万円・クロノグラフで約5万円の費用が必要になる(ただしメーカーやメンテナンスの依頼先による。例えばRolexをRolex正規店でメンテナンスすると高価)。大雑把に言えば、たとえ時計本体が5万円でも100万円でもメンテナンス費用は大きく変わらず低価格の時計では維持費用が相対的に高くなりやすい。
 例えば、上述の例だと20万円のSeiko Prospex 1965 Diverと5万円のOrient Mako 40 Sportsとでは本体価格に約4倍もの開きがあるが、20年間維持して4回メンテナンス(2.5万円×4回=10万円)するとTCO(Total Cost of Ownership=ライフサイクル全体での総費用)としてはProspexは30万円・Makoは15万円で約2倍にしかなない。このように低価格の機械式時計は非経済的・非合理的なので、筆者は機械式時計の購入予算は30万円以上を想定している。

 今回の場合に限ってはアウトドアでガシガシ傷つけて使う、もしかしたら紛失あるいは破損するかもという運用方針でメンテナンスは想定していないためメンテナンス費用は問題とならない。

 

機械式時計:M.A.D Editions M.A.D 1S

動機

 M.A.D EditionsのM.A.D 1Sを入手したので諸感を記録しておこうと思う。

 実のところ、筆者は以前からMB&Fの時計は造形や機能は好みだったものの、最低1000万円~という感じなので購入する妄想すらしたことはなく(仮に筆者が宝くじに当選したとしても、時計に1000万円は使わない…)、その廉価版であるM.A.D Eiditions(後述)の購入は可能性自体は考えていたのだが後回しになっていた。

 これまで購入に二の足を踏んでいた理由は、例えばこれまでに購入したOmega Seamaster 300M 007 EditionやTudor Black Bayなどと比べ、筆者個人のLa Joux-Perretムーブメントへの評価が低かったせいもある(後述)。しかし、時計全体の造りはMB&Fらしく素晴らしいし、ムーブメントも価格相応なだけなので購入に至った。
 正規購入は年間僅か1〜2回の抽選制(1回あたり1200~1500本程度)のため、今回は正規購入ではなく二次流通市場からの購入となったが、ある程度行き渡っているせいか、幸運にも正規価格の+10%ほどで新品同様品を購入することができた。

 

M.A.D Editions M.A.D 1S

 M.A.D Editionsはアヴァンギャルドなデザインの高級時計メーカーとして知られるMB&F(Maximilian Büsser and Friends)のサブブランドである…という説明は恐らく正確ではない。公式には「M.A.D Editions」ブランドは「MB&F」ブランドを冠しておらず、MB&F創始者のMaximilian Büsser氏が新しく設立した別のブランドということになっている。ただし、製品ページはMB&Fサイトにあったり境界は曖昧な印象である。

 M.A.D Editionsの、そもそもの起源がMB&Fの"Friends and Tribes"(友人・サプライヤー・既存顧客)に配るために作成されたもの、そして要望に応える形で一般販売された製品なので、MB&FとM.A.D Editionsの境界が曖昧なのも当然であろう。もっとも、MB&F製品群の最低1000万円〜(CHF 50K〜)に対しM.A.D Editionsの60万円(CHF 3K)という価格帯は「廉価版」というよりも「ノベルティー・販促商品・景品・オマケ」に近い位置づけなのだろうし、だからこそ同じブランドとしては扱えないのだろう。

 もっとも工業製品の常として廉価製品は数が出る。M.A.D Editionsは抽選販売のため数量は限定的でせいぜい3000本/年程度のはずだが、M.A.D Editionsの売上はMB&Fの全売上の4割以上という話もある。

 筆者が思うに、少なくとも当初の時点ではMB&Fはあまり商売としてM.A.D Editionsを展開していなかったのではと思う。もっとも、これは採算度外視(損しても構わない)という意味ではなく、M.A.D 1/1S/2の販売価格がCHF 2900で同価格であることからも伺える。筆者が推測するには、M.A.D Editions各モデルの製造コストは恐らくM.A.D 2≧M.A.D 1S>M.A.D 1の順(?)に高価なはずであるが、販売価格が同じということは利益率を設定していない可能性がある。

 M.A.D 1の機構はアップデート版=M.A.D 1Sと酷似するが、ベースムーブメントには安価なシチズン/Miyota 821A(約 US$ 50)が採用された。これに対しM.A.D 1S・M.A.D 2では、やや高価なLa Joux-Perret G101(約 US$ 150~200)が採用されている。

 また、M.A.D 1・M.A.D 1Sは本来は時針・分針を回転させる歯車を利用してリング回転させているだけで時刻の見せ方の奇抜さはともかく機構そのものは単純だが、M.A.D 2はカスタム設計のJumping-hourモジュール載せているので、よりコストと手間がかかっている。もっとも、M.A.D 1・M.A.D 1Sも背面全体から本体側面の下半分がサファイヤクリスタルだったりしてコストがかかっているので、M.A.D 1SとM.A.D 2の製造原価は比較が難しいが恐らくM.A.D 2の方が高価だろう。

 もし、消費者向けの10〜60万円ほどの機械式時計を扱う企業が利益の最大化を目的として価格を設定するとしたらM.A.D 2≧M.A.D 1S>M.A.D 1の順に高価に設定されていただろうが、超高級時計を扱う企業が製造したノベルティーという位置づけであれば同一価格でも驚くに値しない。

 

 筆者がM.A.D 1・2ではなくM.A.D 1Sを選択したのは外観と入手性による。
 実は筆者のM.A.D 1の第一印象はカッコ良いというより中二病的なダサいというもので、これは上部中央のローターが細く尖っていて放射線標識バイオハザード標識を連想させたからであるが、M.A.D 1Sではローターの曲線がなだらかになり、風防越しに見える落ち着いたミドルケースの色(薄青または紫)と相まって垢抜けた感がある。

 筆者個人の印象としてMB&F製品は遊び心がありつつも、経済的に豊かで余裕のある大人が所有するに相応しい高品質や上品さが同居していると思うのだが、M.A.D 1SではMB&Fらしくなったと思う。

 そもそも「M.A.D Editions」というネーミングがそうだ。「MAD」と言われると悪く言えば浅慮で破壊的な様子・良く言っても既成概念から逸脱した様子が連想されそうだが、「M.A.D」とは「Mechanical Art Devices」の略なのである(芸術も機械も理解には深い知識を要することは言うまでもない)。一瞬だけ上述のような「MAD」を連想させつつも実態は機械と芸術を具現化させた、高度に洗練された装置なのである。 

 ところで、M.A.D 1/1Sの時刻表示は時計上面ではなく手前側サイドに時刻が表示される、少し変わった方式を採用している。後述の通りMB&F HM8など類似の表示形式持つ時計が存在するが、これはMB&Fのオリジナルではなくドライビングウォッチと呼ばれるカテゴリーで、自動車の運転時にハンドルから手を放す必要なく時刻を見ることができる、というものである。詳しくは後述するがM.A.D 1Sの視認精度はせいぜい5〜15分程度だが、自動車を運転中の時刻確認という状況であれば概ね問題ないのではと思う。

 

ムーブメント:La Joux-Perret G101

 MB&Fは、恐らく業界でも屈指の複雑機構を製品化してきたブランドだろうが、リソースに限りがある独立系ブランドらしく複雑機構モジュールのみを自社開発してベースムーブメントに社外品を載せて使うことは珍しくなく、M.A.D Editionが初めてではない。

 例えば、M.A.D Editions 1/1Sに機構が比較的近いHolorogical Machine 8 (HM8)の場合、本体上部の風防からムーブメントと自動巻き機構のローターが見えるが、この上部から見えるムーブメントは社外品でSowind(Girard-Perregaux)製 GP3000(非公式だがGP3300)である。GP3000はVacheron ConstantinやHarry Winstonなどでも採用される薄型高級ムーブメントである。ほかにもChronode・Agenhorなどが採用されたことがあるが、いずれもCHF 3K(約60万円)のM.A.D Editionsに載せられる価格帯ではない。

 その代わりにM.A.D 1S・M.A.D 2に搭載されているのがLa Joux-Perret製LJP G101である。2021年の初代M.A.D 1では、恐らくは入手性の高さと要求仕様が理由でMiyota 821Aが採用されたが、2024年のM.A.D 1SからはLJP G101に置き換えられた。

 ちなみに、MB&Fはその名(Maximilian Büsser and Friends)の通りMaximilian Büsser氏個人の横の繋がりが大切にされており、MB&FでGP3000が採用されているのも知り合いの時計師がSowindにいて開発に参加したからのようである(他にも同氏が前職のHarry Winstonで扱い慣れているというのもありそうだが…)。一方、La Joux-Perretムーブメントの採用については「Miyotaのアップグレードとして友人に勧められた」とされている。

 率直に言って、LJP G100シリーズの評価は簡単ではないが、Miyota 821Aに対するLJP G101の利点は、パワーリザーブが長いなど性能が優れていること、外観が少し良いことだろう。(La JouxfPerretやLJP G100シリーズについては本節で説明しているつもりだが下記サイトも参照頂きたい。独立系時計メーカーFarerによる解説The Naked Watchmakerによる分解と解説HodinkeeによるLa Joux-Perret CEOへのインタビュー(Podcast)

 シチズンによる買収(2012年)以前のLa Joux-Perret製ムーブメントを搭載した時計は100万円クラスがザラで、関連会社のArnold & SonAngelusのほか、Chronoswissなどが採用している、本来はハイエンドムーブメントを顧客の要望に合わせて開発・生産する少量多品種生産のムーブメント専業企業であった。当然のことながらそういうムーブメントの製造工程は熟練職人による手作業の工程が多く含まれるが、なんでも生産量は2019年時点でも僅か年間約7500個の生産量であったという。
 そんな中で、2021年に発表されたLJP G100/D100/L100はETA代替の普及価格帯ムーブメントで機械により高度に自動化された大量生産のエボーシュとして用意されたもので、概ねSellita SW200/SW300/SW500と同クラスのムーブメントとして用意され、2026年現在はG100シリーズだけで80社超の顧客がおり総生産量は年間約20万個だという。前者と後者は分けて考える必要があり、La Joux-Perret製品における旧来型の製品とG100/D100/L100との関係は、カスタムメイドの高級品 vs 大量生産品の普及価格帯製品の関係があり、競合するSellitaでいうとManufacture AMTブランド製品とSellitaブランド製品に近い。

 La Joux-PerretはETAのエボーシュ外販中止以降ではSellitaに次ぐ位置につけるが、年間150万個出荷で圧倒的なシェアを誇るSellitaに対し、La Joux-Perretは恐らくは戦略的にやや高付加価値に注力している。特許が切れた旧式(~1980年代の設計)のETA製ムーブメントのクローンで代替ムーブメントを作ったSellita(元はETAの下請けの部品メーカーだったのでETA製ムーブメントのクローンを作るというのは自然なことだろう)とは違い、La Joux-Perret製のETA代替ムーブメントは多彩で、例えばETA/Valjoux 7750代替のLJP L100シリーズは、ETA/Valjoux 7750ベースにコラム ホイール クロノグラフに変更し・パワーリザーブを延長したものである。

 本稿で扱うLJP G100シリーズはシチズン 09系/ミヨタ 9015系(US$ 75クラス)の設計をベースにETA 2824とドロップイン互換・スイス化(後述)したムーブメントである。 物理的なサイズをETA 2824に合わせただけでなく、多くの部品がスイス製に置き換えられ、恐らくは輪列の歯車も高精度なものに変更・レギュレーターをEtachronに変更することにより、シチズン/ミヨタ 09系/9000系を上回る精度を獲得している。また、耐ショックデバイスもKIFに変更されている。パワーリザーブがETA 2824・Sellita SW200の38時間に対しLJP G100は68時間と、近代的なムーブメントに仕上がっている。Sellita SW200と同程度US$ 150〜200である(※上述の通り、流通経路や購入数量により大きく変化するため、あくまでもクラスの目安である)。

 また、LJP G101の方がMiyota 821Aよりも見栄えが良い。
 M.A.D 1のMiyota 821AもM.A.D 1S/2のLJP G101もCote de Geneve装飾が施されているが、見せることを意識して設計されたとは思えないMiyota 8000系や9000系ムーブメントに対し、LJP G100系ムーブメントではMiyota 9000系をベースとしつつも美観への配慮が随所に見られる。部品の形状がなだらかな曲線を描くように変更されたり・部品間のギャップを詰めたり・バランスホイールを除く見える部分の歯車をロジウムメッキで銀色に統一したりといった具合である(下図参照。写真はCaliberCornerから転載し赤色で加筆)。実物を見ると、まるで貝殻かなにかのようである。

 LJP G101には様々なグレードが存在するが、M.A.D Editionsで採用されているのはCote de Geneve装飾あり・スクリューの青スチール加工なし・日差±7秒の「Soigne」グレードと思われる。もっとも、M.A.D 1SやM.A.D 2には秒針が無いためこの精度にあまり意味は無い。

 いや、そもそもMiyota 821AからLJP G101に置き換えた事は外観や「La Joux-Perretブランド」といった精神衛生面以外の利点は無さそうに見える。M.A.D Editionsは時刻の視認性の悪さ遊び心溢れる外観から仕事場での使用には適さないと思うが、それならばパワーリザーブが68時間に延びても実用上の利点はなかろう。昨今流行の70時間パワーリザーブは金曜日の夕方に外して翌週月曜日の朝(約60〜72時間後)でも時計が動いているというユースケースを想定した利点であって、週末だけ着ける趣味の時計なら70時間のパワーリザーブを体感できる場面はなさそうだ。

 では何故Miyota 821AからLJP G101に置き換えたのか?ここからは筆者の妄想であるが、MB&FがM.A.D EditionでLa Joux-Perretを採用した理由(仮説)を考えてみた。

 もしかすると、M.A.D 2で採用されているJumping-hourモジュールは設計はMB&Fだが製造をLa Joux-Perretに委託しているのかもしれない。MB&Fには当然ながら年間数千本分のモジュール製造能力は無いはずで、そもそもUS$ 10万クラスの超複雑機構を手掛けるMB&Fの時計師にUS$ 3000のM.A.D 2のモジュールを手作業で作らせるのも無駄である。LJP G100を約US$ 150~で製造できるLa Joux-PerretならM.A.D 2のモジュールだって半自動化して大量生産が可能なはずである。この仮説が正しい場合、M.A.D 1SはともかくM.A.D 2のムーブメントはLJP G101である必要性があるわけだが、ムーブメントは販売数量が多いほど価格が下がるためM.A.D 1SとM.A.D 2とで共通化するとコストを削減できる利点がある。
 あるいは、もしかするとM.A.D Editionとは直接は関係の無いMB&Fの戦略的な理由かもしれない。実はGirard-Perregauxは2025年にGP3000シリーズ後継の基幹ムーブメントとしてGP4800を発表したが外部供給は疑問視されている。GP3000発表時=1998年とは状況が異なりUS$ 10,000以上の時計に見合うムーブメントを供給可能なムーブメント専業サプライヤーが複数存在しており、そもそもGirard-Perregauxはムーブメントサプライヤーではないからだ。ムーブメント専業サプライヤーとしては既にMB&Fでも採用されているChronodeやAgenhorがあるが、もしMB&FがLa Joux-Perretも将来のサプライヤーの候補として考えていて、とりあえずM.A.D Editionsで関係構築中という状況なのかもしれない。

 

 ちなみに、本稿で扱うM.A.D 1Sとは直接関係ないが、スイスでムーブメントを売るにあたり上述した「スイス化」は必須で、シチズン・La Joux PerretがMiyota 9000シリーズをスイス化したのも当然である。高級時計において「Swiss Made」を名乗るには規定があり、構成部品のコストの60%相当以上がスイス製である必要がある。
 いわゆる「ETA2010年問題」で各社がETA代替ムーブメントを用意(例えばセイコーは4L25/4L35を用意)したが外国勢には見向きもされなかった。TAG Heuerの場合はセイコー インスツルからTC78のIPを買った上で部品のほとんどをスイス製に置き換えてHeuer 1887を制作している(参考:WebChronos)。部品を日本製からスイス製に置き換えるだけでも高コストになってしまうので価格相応の付加価値を高めた結果がLJP G100やHeuer 1887なのだろう。
 もっとも、MB&Fのデザイン力やブランド力で売れているM.A.D Editionsでは「Swiss Made」は重要とは考えられない。初代M.A.D 1はシチズンMiyota製ムーブメントだったしM.A.D 1Sでも最終組立はMade in Chinaである。

 

 2012年の新設計・高精度・70時間クラスのパワーリザーブ・高い装飾技術…などというと高品質のムーブメントに思えるかもしれないが、あくまで「〜US$ 3000クラスの時計用ムーブメント」としての話である。外観はOmega 321のような機械としての美しさはなく、技術的にも上のクラスの例えばTudor Black Bayに搭載されるKenissi MT-54/MT-56などと比較すると分が悪い。最新の高性能ムーブメントで採用が進んでいるシリコン製バランススプリングやフリースプラング式レギュレーターが使用されているわけではなく、良く言えば保守的・悪く言えば古い仕様といえる。もっとも、このあたりは1980年代以前の技術が溢れる業界にあって新技術を量産ムーブメントに取り入れたSwatch Group(ETA)やRolex(Kenissi)が異質で、La Joux-Perretはシチズンの支援を受けて追い上げ中といった感があり2026年には耐磁性と高精度を追求したG200シリーズを発表予定なのだという。

 以下は本稿ででてきたムーブメントのスペック一覧だが、実用には性能的に申し分ないことは間違いない。

Calibre Base Cal. Year Introuced Diameter (mm) Hight (mm) Jewel count Accuracy Power Reserve (hours) Frequency (vph) Complication
Girard-Perregaux GP3300 GP3000 1998 25.6 3.28 27   46 28800 Date
ETA 2824-2 Eterna 1247 1982 25.6 4.6 25 -12/+12 sec/day 38 28800 Date
ETA C07.611 ETA 2824-2 2011 25.6 4.6 25 - 80 21600 Date
Sellita SW200-1 ETA 2824-2 2012 25.6 4.6 26 -12/+12 sec/day 38 28800 Date
La Joux-Perret LJP G100 Miyota 9015 2020 25.6 4.45 24 -12/+12 sec/day 68 28800 Date
Citizen Miyota 9015   2009 25.6 3.9 24 -10/+30 sec/day 42 28800 Date
Citizen Miyota 8215   1977 26.0 5.67 21 -20/+40 sec/day 42 21600 Date
  • ETA・Sellita・LJP G100が同クラスの普及価格帯ムーブメントでUS$ 100〜200クラス、Miyotaはそれより下のクラスでUS$ 100未満。Girard-Perregaux GP3300のみ超高級ムーブメント
  • Miyota 821Aは8215に装飾を追加したものでスペックは同等
  • ETA 2824・C07は2010年以降はSwatch Group以外への外部供給なし

 M.A.D EditionsにSellita SW200ではなくLJP G100が採用された理由の一つは、巻き上げが双方向(Bi-directional)か片方向(Uni-directional)かの違いである。M.A.D 1/1SでもM.A.D 2でもローターの回転ギミックが見所のひとつであり、その観せ方のために片方向巻き上げ、かつ完全に主ゼンマイが巻き上がった状態でもクラッチが外れてローターを回転させ続けられるムーブメントが必要だったという。ちなみにGP3000も同様に片方向巻き上げである。

 CariberCornerなどのフォーラムを見ると片方向より双方向の方が優れているという認識の人が多そうなのだが一概にどちらが優れているとは言い難い。双方向の方が様々な腕の動きで巻き上げられる一方で逆方向に巻き上げる場合に騒音の原因となりやすかったりする(時計本体の遮音性による)。少ない巻き上げ回数で高効率で巻き上げられる設計のムーブメントならば片方向でも問題ないはずである。

 M.A.D 1/1Sのローターは、ローターというかスピナー(spinner)である。
 筆者は初代M.A.D 1を所有していないため比較できないのだが、M.A.D 1の方がM.A.D 1Sよりもローターがよく回転するそうでM.A.D 1Sに不満を持つ人がいるようだ。筆者が愚考するには、LJP G101はミヨタ 821Aよりもパワーリザーブは60時間対68時間・周波数が6Hzと8Hz(主ゼンマイが貯め込めるエネルギーが単純計算で約1.5倍。ゼンマイが1.5倍長いのか1.5倍のトルクがあるのかは知らないが…)の違いがあり、少ない巻き上げ回数で効率的に巻き上げるために巻き上げに要する力が大きい=ローターやリュウズの回転が重い可能性がある。

 とはいえ、これはM.A.D 1・1Sを比較した場合の話で、M.A.D 1Sのローターはよく回る。一般的なウェイトが一方向のみでローターは基本的に垂直方向に真下を向いているため、オフィスで働くような場合に腕を多少上下させてもローターはせいぜい0〜180度の範囲でしか回らないが、M.A.D 1/1Sのローターはウェイトを3箇所に分散しているため90度ほど角度が変度を動かすだけで回りだし、あとは慣性でグルグルと回る。

 

時計ストラップ交換

 筆者は時計に標準添付のストラップがレザー製またはファブリック製のバンドの場合は標準添付のバンドを外して保管し、社外品のバンドを使用するようにしている。標準添付のバンドは入手性が悪く・高価なのでダメージを与えると元の状態に戻し難いからだが、今回はバンドの交換に苦戦した。

 ここで想定外だったのは、廉価版のM.A.D Editionにも超高級腕時計メーカー=MB&F製らしく、バンドが高級時計でよくある仕様になっている点だ。バンドの時計側のエッジとバネ棒はカーブド(時計側面に沿ってカーブしている)で、バネ棒には工具で引っ掛ける溝が無い、というかバネ棒は非破壊的に取り外せない仕様になっている。従ってニッパーで切るしか方法がない。再度バンドを取り付ける場合はカーブドタイプのバネ棒を購入してきて使用することになる。

 ちなみに、M.A.D 1Sのケースはカーブドタイプのバンドが前提となっており、ストレートタイプではケースと干渉してしまうので、交換バンドの選択には注意が必要である。M.A.D 1Sの時刻表示はサイドの、ミッドケース相当の部分がサファイヤクリスタルになっており、内側のリングから時刻を読み取れるようになっているのだが、この時刻を表示する印が出っ張っており、バンドがストレートの場合は印と干渉して取り付けることができない。

牛革/ストレート/ブルー
 AliExpressにて購入(US$ 10以下)。ストレートのバンドは上述の通り干渉してしまうため、該当部分を切り取る加工している(カーブドが必須と知る以前に購入していた…)。
 実はM.A.D 2ではシボの入った牛革バンドが標準添付されているのだが、「もしM.A.D 1Sにも同様のレザーバンドが添付されていたら、こうだっただろう」というイメージで選択した。上述のバンドの一部を切り取った部分はバネ棒の銀色が露出してしまっているが、外観も含め概ね良好だと思う。
※比較のためにあえてワイシャツを着用しているが、袖に引っ掛かるため相性はよくない。

ダチョウ脚革/カーブド/グリーン
 ハンドメイド専門のマーケットプレイス=Etsyにてベトナムの業者より購入(US$ 50ほど)。安価な牛革なら中国のマーケットプレイスが入手性と品揃えが良好だが、牛革以外を求め始めるとEtsyが品揃えも価格帯も良好で、しかもセミオーダーメイドのためサイズ・長さなどオプションが用意されていることが多い。
 今回入手したのはダチョウ脚革で一目惚れに近かった。鱗柄と美しいグリーンとが相まって下品過ぎないイカツさがある。M.A.D 1Sとの相性は微妙なところだが…このイカツいレザーストラップに組み合わせられるイカツい時計という意味ではM.A.D 1Sは良い線いっていると思う。尚、オーダーメイドのためM.A.D 1Sに合わせて端のカーブド加工・スティッチの色変更を依頼した。

 ところで、MB&FはM.A.D 2を販売する際に交換用バンドも同時にアナウンスしており(CHF 80だそうである)、純正交換用バンドを購入できる可能性がある。もっとも、CHF 80ならノーブランドのクロコダイル革バンドが買えてしまうので、やはり個人的には標準添付のバンドを外して保管・好きなバンドを探してきて使うのが一番だと思う。

 

使用感

 時計としては実用性は非常に低く、腕に巻きつける時計学的機械(Horological Machine)といった趣で、ファッションアイテム・趣味の時計と言える。

 M.A.D 1/1Sは本体サイドのリングで時刻を表示するが、M.A.D 1では時間・分が別れていたのに対しM.A.D 1Sでは時刻のみの表示となったため、15分精度ぐらいでしか時刻を読み取ることはできない。機能的には劣化したとも言えるが、M.A.D 1で問題だった18mmもの厚さが15mmになったことは外観面でも機能面でも大きなメリットだ。
 ちなみにスーツを着るような場合にシャツの袖に引っかからないギリギリの厚さが13mmとされているので、15mm(長袖に引っ掛かる)と18mm(長袖の内側には入らない)とでは実用面で大きな違いがある。ちなみに、日本人には馴染み深くゴツい印象のあるG-Shockでも多くのモデルでは厚みは11.0~13.5mm程度・一部モデルのみ15mmや18mmのものがある。

 上述の「スピナーがM.A.D 1よりも回りにくい」問題は実用上ではむしろ利点かもしれない。意図して回そうと思えば腕を大きく振れば回せるが、不意な動作で簡単に回り過ぎないことが逆に落ち着きと静寂を与えているからだ。

 スピナーが回転するとカラカラと軽快な回転音がするのだが(時計の造りから察するに意図的に遮音していない)、人によって評価が分かれそうだ。「回ってる!」感があって面白いがオフィスなどでは騒音で場違いだろう。以前若者の間で流行ったハンドスピナーと同じで、無闇に回転させていると回し車を回すハムスターのようで、落ち着きがなく・生産性が無く・幼稚に見える。筆者自身もハンドスピナーには興味すら持たなかったが、周囲の人からは煩わしく感じられても不思議はない。

 もっともM.A.D 1S自体が時刻の視認精度も含めて休暇向きだから、TPOを弁えれば問題にはならないだろう。

 

おわりに

 M.A.D EditionsはMB&Fのテイストを比較的安価で体験できる貴重なコレクションで、M.A.D 1Sを実際に使ってみて、TPOさえ弁えれば素晴らしいアクセサリーだと思う。

 とあるYouTuberのレビューを観ていると「アヴァンギャルドウォッチはM.A.D Editionsのように、もっと手に届く範囲にあるべきだ」「他の誰も、やったことがない物だ」と評していたが、筆者も概ね同意見だ。
 実用性に欠けるため趣味のアクセサリーだが、造りは洗練されており非常に納得感の高い製品である。その一方で内容的には高度な複雑機構が載っているわけでもなく高価になる要素は見当たらない。このような面白い時計を作っているブランドが少数なのは残念でならない(やや方向性は異なるが大塚ローテック・SpaceOneAmida、意外に中国にもBehrensCiga Designsなど)。

 

最近の興味深かった話題(2026年第13週)

米国政府とAnthropicはサプライチェーンリスク問題

連邦裁判所がAnthropicの仮差止申請を認容:「供給網リスク」指定を違法と断じた判決が問うAI産業と政府の関係 - XenoSpectrum

 トランプ政権がAnthropicをサプライチェーンリスクと指定した問題で、米連邦裁判所は予備的差止命令を認容する判決を下したそうだ。筆者には、そもそもこの問題が「サプライチェーンリスク」に相当するようには思えないため、米連邦裁判所の判断は妥当そうに思える。

 「サプライチェーンリスク(参考:NTT)」とは製品やサービスなどで原材料・部品の調達から最終製品を出荷するまでの一連の流れ=サプライチェーン上のリスクのことであるが、幾つかの種類がありセキュリティー上の脅威が生じるリスクもある。

 比較的身近な例を挙げるなら、以前、Supermicro製のサーバーでボード上に設計に無いハッキング用のチップが埋め込まれていた、とするBloomberg報道が話題となった。この疑惑自体は米当局を含む各社が否定して誤報と考えられているが、仮想敵国で製造した場合に現地の製造業者または従業員がセキュリティー問題を発生させるリスクとして話題となった。

 同様に、今回のような政府がデータ分析で使用するAI技術の場合であれば、例えば米国防総省が情報の分析に使うAI技術として米国の仮想敵国(例:中国やロシア)のAIサービスを利用すると仮定すると、仮想敵国側のスパイの活動はデータ分析の対象から除外されて怪しい動きを検出されないようにしたり、米政府高官の情報を仮想敵国に漏洩させるような細工が施されたり、仮想敵国に都合が良く米国に都合が悪い結果になるように分析結果を歪められる、といったリスクが考えられる。この例の場合は仮想敵国のAIサービスにサプライチェーンリスクが存在するということができる。

 だから、米国政府がHuaweiやZTEに対しサプライチェーンリスクに指定したことは、米国政府が中国政府を仮想敵国とするのであれば妥当と考えられる。しかし、米国のIT企業であるAnthropicがサプライチェーンリスクに該当するか否かで妥当性には疑問がある。

 Gigazineが米国のニュース記事を参照して国防総省側のAI担当者の言い分を記事にしている(国防総省がサプライチェーンリスクに指定したAnthropicにGoogle・Amazon・Microsoftが防衛関連以外で協力表明、一方「なぜ指定したのか」について国防総省のAI担当者が語る - GIGAZINE)。
 国防総省側のAI担当者の言い分を鑑みるに、Anthropicと国防総省の間で意見の食い違いがあったこと、国防総省の実装したい機能がAnthropic製サービスの利用規約に抵触するため国防総省がAnthropicの競合他社の別のサービスを利用することについては特におかしなことはない。そういう問題はあったにせよ、それは法律で禁じられていないし、上の節で説明した「サプライチェーンリスク」には該当しない。もし解決できないのであれば単に契約を解除すればいいだけの話である。

 なぜ「サプライチェーンリスク」指定なのかについては、XenoSpectrum記事中にある米国政府側の弁護士の言い分がすべてを言い表しているように思われる:

Lin判事はすでに、政府側弁護士に対して「なぜAnthropicがブラックリストに載ったのか」を執拗に問い質した。その際の言葉は、「Anthropicを不能にしようとする試み(attempt to cripple)」というものだった

 つまり、国防総省が(1)Anthropicをサプライチェーンリスクに指定する場合と(2)単にAnthropicとの契約を解除する場合違いとして、Lockheed MartinやBoeingといった米政府の納品業者もAnthropicのサービスを使えなくなる(参考:Gigazine)点が異なり、(2)よりも(1)の方がAnthropicに与えられるダメージが圧倒的に大きいが、懲罰の効果(「不能にすること」)を目的にサプライチェーンリスクに指定されたのであって、サプライチェーンリスクがあるからサプライチェーンリスクに指定されたわけではない、としか読み取れない。

 XenoSpectrumの記事は「構造的矛盾」なるものを提示するが、筆者の理解では何も矛盾は存在していない(XenoSpectrumの記事は、しばしば過剰な誇張表現が見て取れる)。封建主義国家・共産主義国家・社会主義国家ならばともかく、民主主義国家で政府の要求と民間企業の提供する製品や利用規約が一致しないことなど当たり前で、両者が交渉して妥結点を探ることは可能だが、法律を犯さない限りは当該の民間企業を強制したり断罪する根拠は無いのである。それはホワイトハウスも米国防総省であっても違いはない。
 米国政府はAnthropicとの交渉が決裂した時点でAnthropicと契約を解除してOpenAIなりGoogle Geminiなりに乗り換えればよかったのであって、違法な「サプライチェーンリスク」指定は懲罰的という範囲を逸脱しているように思われる。

 米最高裁が違憲と認めた追加関税の件も含めて、トランプ政権は遵法精神が希薄過ぎるように感じられる。

イースター 2026 @Opernhaus Zürich

 幾らキリスト教の本場である欧州に住んでいても、同時期にヨハネ受難曲とマタイ受難曲の実演、それも一定水準以上の演奏者による演奏に接する機会というのは多くなかろう。しかも会場が同じチューリヒ歌劇場というのが面白かった(座席もほぼ同じ位置)。

 Zürcher Sing-AkademieOrchester La Scintillaによるヨハネ受難曲は、良くも悪くもオーソドックスだったと思う。
 Orchester La ScintillaはOpernhaus Zurich付の2つのオーケストラの1つで、古楽演奏を担当しており、目下Opernhaus Zurichでのヘンデル『Giulio Cesare in Egitto』公演に出演中で、悪く言えばヨハネ受難曲コンサートは副業と言っていい。Zürcher Sing-Akademieはスイスを代表する欧州でも名の通った合唱団だが、こちらも圧倒的というほどでもない。上手いオーケストラと上手い合唱団による、特に文句の無い演奏会だった。

 ネガティブな感想に聴こえるかもしれないが、一般的なバッハのカンタータは教会で演奏されるべく作曲された宗教音楽であるが、フォーレのレクイエムやストラヴィンスキーのミサ曲で「色っぽいから」という理由で楽器編成が変更される作品があるように、正統的な宗教音楽はドラマティックな演奏とはかけ離れると思われ、良く言えば上品で落ち着いた進行になり、悪く言えば淡々としていて色気がない。

 その点で、Ensemble Pygmalionによるマタイ受難曲は毛色が違っていた。オペラのように劇的でZürcher Sing-AkademieとOrchester La Scintillaの演奏とは対極のような内容だった(ちなみにソリストも含めてほぼ2022年の録音と同一である)。

 恐らく合唱団のメンバーは全員がソロとして通用する技量・声量を持っているのではないかと思う。ソロ・合唱を問わず抑揚表現が幅広く、これにドラマティックなアリアが頻出するマタイ受難曲ということも手伝って、実にドラマティックな演奏だった。さらに歌劇場という場所も手伝って演技の無いオペラのようにも感じられた。

 思うに、Ensemble Pygmalionの演奏は新機軸だったと思う。恐らくOVPPの利点・欠点を踏まえて演奏に盛り込んでいたのではと思う。
 OVPPはOne Voice Per Partの略で、米国の音楽学者ジョシュア リフキンが1981年に唱えた演奏方法で、バッハの合唱曲のパートを1人で歌う方法である。マタイ受難曲の場合は10人ほどの声楽ソロパートがある(エヴァンジェリストとキリストは固定、加えてピラトも固定のソリストが担当するが、それ以外は適宜分担する)が、合唱団を用いず各パート1人で合唱もソロの歌手が合唱する方式である。合唱が小規模になるため大合唱団では埋もれがちなポリフォニーや内声が聴き取り易くなる利点がある。

 OVPPのアイデアは奇抜だが歴史的な正当性は否定されている。ただ、上述の通りピグマリオンの声楽パートは合唱団がソロレベルなのでOVPPの利点を合唱団を使って実現できる。2組の合唱団は8人のソリストのうちエヴァンジェリストとキリストを除く6人を含めて12人ほどで極めて鮮明に聴き取れた。

 演奏は上手かったのであるが、ソロ歌手が舞台上を歩き回るのは蛇足だった気がしてならない。バッハの受難曲の演奏ではエヴァンジェリストとキリスト以外は合唱パートを合唱団と一緒に歌い、ソロの場面でステージ前方に出てきてソロを歌うのが一般的ではあるのだが、Ensemble Pygmalionの場合はオーケストラを中央に右→前→左または左→前→右といった具合に舞台を一周歩き回る。オペラのような演技をするわけでもないのに不必要な動きが多過ぎたように思う。

 Ensemble Pygmarionは、分類的にはいわゆるピリオド演奏の声楽・器楽アンサンブルで日本でいえばBach Collegium Japanと同じカテゴリーに分類されるのだろうが、このようにして見ると「バッハ時代の演奏の再現」とは異なり、実に現代的なアプローチが目立つ演奏だった。受難曲も含めてコンサート鑑賞経験の豊富な人でも目新しい部分が多く視覚的にも聴覚的にも楽しめたのではと思う。

 オーソドックスなアプローチで演奏して見せたZürcher Sing-AkademieとOrchester La Scintillaと、深く研究された現代的なアプローチで演奏して見せたEnsemble Pygmarionの2つの演奏会は対照的で実に興味深かった。
 エンターテイメントの「コンサート」として、また純粋なクラシック音楽の演奏として見ればEmsemble Pygmarionは極めて素晴らしい演奏を見せた(終演後はスタンディングオベーションであった)。ただ「厳か」という感じはなく、キリスト教の宗教行事=イースターの伝統的なイベント=受難曲演奏としてはZürcher Sing-AkademieとOrchester La Scintillaの演奏の方が正当だったかもしれない。

最近の興味深かった話題(2025年第50週)

生成AI用半導体で稼いでいるのは誰か

Everybody But Nvidia And TSMC Has To Make It Up In Volume With AI - TheNextPlatform

 TheNextPlatformの12月12日付の記事で、「何を今さら」という内容で、やや主旨・結論が解り難いが…興味深い記事を見かけたので紹介したい。
 「(米証券取引委員会の定義に基づく意味で)本当に生成AIブームで儲けているのはNVIDIATSMCだけ」と主張しつつも、なかなか記事にならないNVIDIATSMC以外のトップランナーBroadcomがいかに利益を上げているか説明されており、なかなか興味深い。

 そもそもの話をすれば、ただでさえIT/半導体業界は進歩が速いが、生成AI市場は興隆期かつ過熱気味の状態で投資と製品のアップデートが激しいので、赤の女王仮説の顕在化が顕著な市場と思われる(「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」)。

 つまり、TheNextPlatformの記事の指摘する通り現時点では「儲かっていない」にせよ、それは現時点での話であって生成AIブームが一段落する数年後でも「儲からない」のかは不明だし、その数年先の未来のために「脱落しないためには、全力で走り続けなければならない」のが只今の状況だろう。
 話を単純化するため超古典的なPPM分析でいえば、生成AI市場は、NVIDIATSMCにとっては「花形(市場の成長性が高く・自社のシェアも高い事業)」・それ以外の競合他社にとっては「問題児(市場の成長性が高く・自社のシェアが低い事業)」相当である。そのため「「問題児」を「花形」に育て、そして、「金のなる木」にしていく」必要がある(参考:東洋経済)わけで、TheNextPlatformの記事でいう「損失を出し続けている(losing money fist under hand)」企業はともかく「AI関連への投資で利益を希薄化させている(diluting their profits by expanding into AI)」企業については上述の通り「問題児」製品を「花形」製品に育てるという判断で、投資を継続するのは何も間違っていない。

 記事中で挙げられているBroadcomNVIDIATSMCに次ぐグループの第2グループの代表例なので、記事冒頭の「損失を出し続けている」企業でないどころか「AI関連への投資で利益を希薄化させている」(「問題児」)企業の中でも限りなく成功(「花形」)に近いポジションなので、Broadcom経営陣からすれば投資を継続するか撤退するか判断は容易だったことだろう。記事冒頭の「本当に生成AIブームで儲けているのはNVIDIATSMCだけ」すら霞んで見えるほどである。
 筆者としては、どちらかと言うと「損失を出し続けている」企業としてIntelあたりと比較してもらいたかったところであった(後述)。

 この辺りは、もう少し具体的な議論が必要かもしれない。
 記事ではBroadcomの例が挙げられているが、Broadcomや同業のMarvellの本来の主力製品はネットワークASIC(スイッチチップやネットワークインターフェース=NIC)で、その次がPCIeコントローラーやスイッチ(その延長として将来的にはCXLやUALinkのコントローラーやスイッチ)のようなペリフェラルコントローラーASICである。
 それが、最近の両社はカスタムASIC(カスタムXPU)のバックエンドデザインと製造管理のビジネスが盛況で、GoogleAWSMicrosoft・Metaから設計・製造を受託して「AI関連株」として高騰した。
 ただし、両社の本来の主力製品とカスタムXPUの設計・製造サービスビジネスは分けて考えることはできない。Broadcom・Marvellが大手クラウドサービス各社からカスタムXPUを受注したのは、そもそも両社が膨大なIPポートフォリオとノウハウを保有しているから受注可能だったわけで、カスタムASIC設計サービスであれば誰でもいいわけではなくBroadcom・Marvell(および台湾のAlChip・MediaTek)が適任だったわけである。

 Broadcom・Marvellからすると、AIブーム関連でネットワークASIC・ペリフェラルコントローラーASICも、カスタムXPUデザインも投資を止められない。
 まず、ネットワークASICではNVIDIAが買収した旧Mellanox製品をDGXファミリーに組み込んできているので、NVIDIA製品の導入が増える≒旧Mellanox製品(Spectrum)の導入が増えるということはBroadcom製品(Tomahawk/Trident/Jericho)/Marvell製品(Teralynx/Prestera)の導入が減る可能性があるため、生成AIブームが一段落した数年後に、生成AIブーム以前と同じポジションにいたければAI関連投資は止められない。

 カスタムXPUビジネスについて、TheNextPlatform記事中ではBroadcom・Marvellが利益率の低いOEMからODMに成り下がっている点を指摘するが利益率だけで議論はできない。ただし、これはカスタムXPUに限った話ではない。
 例えばOpenAIとBroadcomOpenAIのカスタムXPUを開発中とされるが、ウワサではOpenAIのカスタムXPUはGoogle TPUに酷似しているそうで、元GoogleでTPU開発メンバーの雇用と、Google TPU(TPUv1~v6e)のバックエンドデザインを担当したBroadcomの起用はおかしなことではない(※OpenAIは実際にそうしている)。

 既成チップのOEMからカスタムXPUのODMに立場は変化したかもしれないが、膨大なIPポートフォリオとノウハウがあるからBroadcomGoogleからTPUのバックエンドデザインを受注(2015年以前~現在)し、さらに新規顧客=OpenAI(2025年~)の開拓にも成功し、しかも受注すれば数十万~数百万チップの製造は確実なわけで(IPのロイヤリティーは1チップあたりで課金されているはず)、総合的に見て悪いビジネスというわけではない。それがTheNextPlatformの記事の標題である「NVIDIATSMC以外はAI市場で量で補わなければならない(Everybody But Nvidia And TSMC Has To Make It Up In Volume With AI)」に繋がってくる。
 ただ、大手クラウドサービスプロバイダーから受注し、数万個のチップを製造し、利益率の低下を量で補えるのもBroadcom・Marvell・AlChip・MediaTekといった業界でも特異な企業だから可能な事なのだろうが…。

 このように見ると、BroadcomやMarvellの現在のポジションは良好だが投資の継続が必要で、それは記事後半のBroadcomの業績予想にも表れている。

 ちなみに、Broadcom以外では、記事では触れられていないがXPUでNVIDIAと競合するGoogleAMDだって同様だ。
 検索してみると、AI用NPU市場でNVIDIAのシェアは80%弱だが、これに続くのがGoogle(12%ぐらい?)とAMD(3~4%ぐらい?)となっており、NVIDIAがマーケットシェアでも技術面でもマーケットリーダーである状況は相変わらず圧倒的だが、GoogleAMDの継続的な投資によるXPU開発と、OpenAI・Anthropic・Meta等のAIサービス各社によるNVIDIAへのロックインの回避が、Metaが数十億円分のGoogle TPU導入Anthropicは数百万基のGoogle TPUを使用OpenAIはAMDと提携し6 GW分のGPU導入Oracle CloudはAMD GPUを50,000基導入という事態に繋がっている。Broadcom・Marvellほど「成功に近い」とは言い難いが、NVIDIAを追撃するグループとしては企業努力と成果が見え易いポジションにいる。今後に期待したいところである。

 ところで、TheNextPlatformの記事の主旨が不明瞭に感じられるのは、「損失を出し続けている企業かAI関連への投資で利益を希薄化させている企業しかいない」という冒頭の主張のうちBroadcomという「利益を希薄化させている企業」の中でも成功に近い特殊な例だけ挙げられているためで、「損失を出し続けている企業」と対比した議論が欠けているせいではないだろうか。

 「損失を出し続けている企業」の最大の代表例はIntelのはずで、IntelBroadcom・Marvellのようになれず、苦戦しているのが興味深い。
 というのも、IntelBroadcom・Marvell並に膨大なIPポートフォリオと設計ノウハウを持っており、さらに2017~2019年頃であればNervana・HabanaLabsというXPU企業も抱えていた。うまくやればBroadcom・Marvellよりも優位なポジションを確立できた可能性はゼロではなかったはずである。

 しかし、膨大なコストをかけて開発したDatacenter GPU鳴かず飛ばず、膨大な資金を投じて買収したNervana・HabanaLabsは事実上解散しており、ロードマップ上に製品群が並んでいるだけである。

Intelの誤った判断については1年ほど前に記事にしたので参照されたい。ちなみに、Intelは売却を検討していたネットワーキング部門を社内に維持すると決めたそうだ(参考:Reuters)。上述のようなIntel自身の立ち位置や、成功している競合他社=Broadcom・Marvell(言わずと知れたネットワーク用半導体の大手)・NVIDIA(HPC市場で大手のMellanoxを買収)・AMD(Solarflareを持つXilinxおよびPensandoを買収)の動向とXPU製品の特性(スケールアウトのためネットワーク技術が必要)を考えれば、そもそもネットワーキング部門の売却という選択肢はありえなかったので当然の結論だが、検討に4ヶ月も浪費してしまうところが現在のIntelを象徴しているように思えてならない。

 想像するに、Intelの問題は柔軟性に欠けた点ではないかと思う。
 IntelにとってはIntel Foundryでの製造・Datacenter GPU "Ponte Veccio"やHabanaLabs Gaudi NPUといった実装・OneAPIでの実行ありきで、クラウドサービスプロバイダーが欲していたであろうフルカスタムXPU設計も、失敗続きのIntel FoundryではなくTSMCで行うべき製造も提供できなかったので、クラウドサービスプロバイダーが求めた柔軟性に欠けていたのだろう。

廉価ゲーミングコンソール代替の廉価PCを考える: 2. Steam Machine化

本稿は「廉価ゲーミングコンソール代替の廉価PCを考える: 1. 検討編」の続きです。

経緯

 随分と前の話になるが、Ryzen APU搭載ミニPCを使ってライトゲーマー用のゲーミングマシンに仕立てるという趣旨の計画で「廉価ゲーミングコンソール代替の廉価PCを考える」という全3回ほどの連載記事を企画した。ところが、第1回は2024年3月に投稿したものの続編の作成・編集が想定通りに行かず完結できていなかった。

 なぜかと言えば、そもそも、この計画ではRyzen APU搭載ミニPCをベースにBIOS(正確にはUEFIだが一般に通りの良さそうなBIOSで表記する)とWindowsの設定を最適化することによりXbox Sereis SのSteam版のような廉価ゲームマシンに仕立て上げる予定だったのだが、ラップトップPC用SKUのRyzen APUではBIOSの設定にゲーミング性能を向上できるような項目はほとんど無く、Windows 11の設定では操作周りこそ快適になったもののパフォーマンス周りはほとんど性能が向上しなかったため目論見が外れたからである。
 多少の性能向上は可能なものの、10%未満の性能向上した程度では誤差か判断が難しく、またその性能向上に費やす労力に見合わなかった、といった具合である。

 ちなみに、当時なぜWindows 11を選択したかと言えば、(1) SteamOS 3がSteamDeck以外のハードウェアへの導入の敷居が高かったことと (2) ゲームの互換性の問題の存在のせいであったからだが、現在はSteamOS 3がSteamDeck以外にもインストール可能となっており、互換性問題は依然として存在するものの1年前よりは改善している(参考)。

動機

 今回、1.5年ほど前に一度は没にした企画を復活させることにしたのは、前回の企画の後で導入可能となったSteamOS 3に興味があるためだ。また、個人的な動機だけでなく、恐らくRyzen AI Max以外のRyzen APU搭載PCでゲーム機化する場合にはSteamOS 3の導入は利点が多く、本稿は有益になるだろうと考えたためである。

 SteamOS 3はArch Linuxベースだが、低スペックなマシンではWindowsよりゲーム用として優れている可能性がある。OSの使用するリソースが少なくゲームが使えるリソースが相対的に大きいほか、Linuxで問題となりがちなドライバーも、AMD GPUに関してはプロプライエタリー版がオープンソース化されたこともありWindowsに比べて極端に性能が劣化するとも考え難い。また、SteamDeck・SteamOSの開発元であるValveもAMD GPUのドライバーの改善に取り組んでおり、SteamDeckだけでなく同じくAMD Ryzen APUを搭載したASUS ROG AllyやLenovo Legion Goのサポート改善も行っている(参考:PCGamerPhoronix)。
 実際、Ars TechnicaがLenovo Legion Go Sで行ったテストによると、SteamOSでのベンチマーク結果はWindows 11でのベンチマーク結果を概ね10%ほどではあるが上回ったそうだ(ゲームによって-7.0%~36.2%とばらつきはある)。

 今回の記事で使用するハードウェアは前回の記事から変更無しでRyzen 7735HS(Zen3+ 8-core CPU + RDNA2 12EU GPU)搭載のミニPCとする。Ryzen 7735HSは2022年登場のAMD Ryzen 6800Hのリブランド品だが、特に問題無いと判断した。
 2025年末現在の基準では見劣りするが、まず2025年初頭に登場したLenovo Legion Go Sに搭載のAMD Ryzen Z2 Goは同世代のAPU(Zen3+ 4-core CPU + RDNA2 12EU GPU)であるように同世代のAPUはまだ現役と考えられるし(参考:Ryzen 7735HS vs Ryzen Z2 Go)、また、たとえ最新のAMD Ryzen APU搭載ミニPCの場合でも、Ryzen AI Max以外においてはメモリー帯域の制約からゲーム性能に関しては約30%前後しか向上しておらずパフォーマンス不足の問題は解消されていないので(参考:Radeon 680M vs Radeon 890M)、本稿で得られた知見は適用可能と考えられる。

カスタムSteamマシン化

 インストール方法はValveの公式ページに従えば問題無くインストール完了するため割愛する(参考:インストール方法)。AMD Ryzen APU搭載ミニPCの場合、ValveがSteamDeckや他社のハンドヘルド機(ASUS AllyやLenovo Legion Goなど)用にAMD Ryzen APU用のパッケージ類をメンテナンスしているため互換性の観点から無難と考えられる。

BIOS/UEFI設定チューニング

 今回は省エネ/低価格なラップトップ用Ryzen APU搭載ミニPCをゲーム機に転用するが、ラップトップ用SKUなので設定できる項目は少ない。BIOS設定項目は機種によって多少は異なるが、ここで取り上げる設定項目は恐らく多くのRyzen APU搭載ミニPCで設定可能と思われる(※パスや設定値は環境によって異なるが、参考までにGMKtec K2のものを記載している)

Advanced > Power Limit Select [35W|45W]
 AMD Ryzen APUのラップトップPC用H/HSシリーズSKUはcTDPで35W~54W程度で選択可能な機種が多いが、高いcTDPに設定することにより高いパフォーマンスが得られる。もっとも、増えた消費電力だけ冷却ファンの回転数が上がりやすくなるため騒音が問題となる可能性がある。

Advanced > GFX Configuration > UMA Frame Buffer [Auto|512MB|1GB|2GB|4GB|8GB]
 Ryzen APUのiGPUはシステムと共用のUMAモリーから最大8GBまで動的にVRAMを確保するが、この設定項目はシステムの起動時点で確保する静的な確保分である。
 もし、環境がOfficeやPhotoshopなどのアプリケーションも使う普通のPCの場合はメインメモリーの消費量を見積もることは難しいため、システムメモリーを固定的にVRAMに割り当てる弊害が大きく1GBほどに設定すべきだろうが、SteamOS搭載のゲーム専用機であれば弊害は小さいだろうから、ある程度固定的にVRAMに割り振っても問題は無さそうだ。
 このVRAMの静的な割り当ては、一般的な用途としてはゲームソフト等のアプリケーションが起動時にVRAM容量をチェックするような場合に、VRAM不足で終了してしまわないようにするために設定される場合が多い。理屈から言えば動的なメモリー割当の頻度が少ない方がパフォーマンスは高くなるはずだが…実環境ではパフォーマンス面でのゲームへの影響は僅かということが判っている(参考:TechSpotの検証記事)。もっとも僅かながら性能向上はありえるので、筆者環境ではシステムメモリー16GBのうち4GBをVRAMを割り当てた。

SteamOS設定チューニング

 SteamOSのユーザーインターフェースはSteamのBig Pictureモードとほぼ同じためSteamユーザーには馴染み深く、設定もほぼSettingメニューままであるが、Displayの設定項目が増えているほか、WindowsでいうControl PanelやWindows Registryにあるようなローレベルのコンピューターの設定は別のメニュー「Quick Access」メニュー(Cntrl + 2)からアクセスする必要がある。

パフォーマンス > スケーリングモード [なし|整数|ストレッチ|フィル]
 GPUによるスケーリングを行うことで画質を比較的高品質に保ったまま大画面に描画できる。ここでは元画像のシャープさを保ったままスケールするために整数を選択した。4Kテレビに2160p(3860x2160)で入力するため1080p(1980x1080)を縦横2倍でスケーリングできる。
 もし、マシンが高性能でスケーリングが1.5倍等で済む(例:1440p→2160p)ようであればストレッチでも良いと思うが、倍率が高くなるとボヤケて見えるようになるため2倍程度であれば1080p→2160pに整数倍した方が画質は保ちやすいと思われる。

パフォーマンス→VRR [無効|有効](ディスプレイが対応している場合)
 筆者環境ではディスプレイが非対応で有効化できなかった

パフォーマンス→可変レートシェーディング [無効|有効]
 画面のエリアや状況に応じて人間の視覚で影響が少ない場所のシェーディングの精度を動的に変え、パフォーマンスと品質のバランスをとるレンダリング技術。今回は使用するRyzen APUが低性能であることが判っているため有効にしておく。

所感

 ベースがPC環境(PCのハードウェア+LinuxベースのOS+PC用ゲーム)だけに、良い意味でも悪い意味でも「PCらしさ」は見え隠れするものの、概ねゲームコンソールらしい操作感になるのはさすがである。
 悪い意味での「PCらしさ」は、後述する通りマシンのパフォーマンスがゲームの要求するパフォーマンスを満たさない場合のグラフィックス品質などの調整がユーザーによるマニュアル設定になってしまう煩わしさは解決されない。また、実際には動作しないゲームがインストールできてしまう(互換性問題が判明している場合は警告が表示される)のも「PCらしさ」で専用機=ゲームコンソールではありえない挙動だろう。
 とはいえ、Protonランタイムによる意外なほどの互換性やパフォーマンスの高さ、ゲームコンソールっぽいユーザーインターフェースは賞賛に値する。

 もっとも、この所感は主観的で客観性に欠けるので、ベンチマークで数値化しようと思う。実は定番の3DMarkで行う計画だったのだが、3DMarkはSteamOS非対応でまったく動作しない。そこで、SteamOSでも動作したMonster Hunter Wilds BenchmarkとForza Horizon 4を使用した計測結果を掲載する。

Benchmark 1 - Monster Hunter Wilds Benchmark

 まず、絶対に実用的な速度で動かせない最新ゲームの例としてMonster Hunter Wildsベンチマークを走らせてみる。以下はMonster Hunter Wildsの最低性能・推奨性能と本稿のカスタムSteamマシンのスペックを比較したものである。

  MINIMUM RECOMMENDED Test system
OS Windows10 (64-bit Required)
Windows11 (64-bit Required)
Windows10 (64-bit Required)
Windows11 (64-bit Required)
SteamOS
PROCESSOR Intel Core i5-10400
or Intel Core i3-12100
or AMD Ryzen 5 3600
Intel Core i5-10400
or Intel Core i3-12100
or AMD Ryzen 5 3600
AMD Ryzen 7 7735HS
MEMORY 16 GB RAM 16 GB RAM 16 GB RAM (UMA)
GRAPHICS NVIDIA GeForce GTX 1660 6GB
or AMD Radeon RX 5500 XT 8GB
NVIDIA GeForce RTX 2060 Super 8GB
or AMD Radeon RX 6600 8GB
AMD Radeon 680M

CPUの性能は推奨性能と同水準を満たしているが(参考:Core i5-12400 vs Core i5-10400 vs Ryzen 7735HSCore i3-12100のベンチマーク結果が無かったため同世代で1グレード上のCPUとしてCore i5-12400を掲載)、GPUの性能はまったく満たしておらず(参考:GeForce GTX 1660 vs Radeon RX 5500 XT vs Radeon 680M)、そのため当然ながらデフォルトの設定ではカクついて実用にならない。

VRAM 4GB, Resolution: 1920×1080, Graphics: Low, FSR: Enabled

 30 fps以上がでるため数値的にはプレイ可能そうだが、いかんせん画質が悪過ぎる。ディテールは粗く、まるで古い劣化したフィルムの映画を見ているようで見ていて楽しめないが、視覚による誤認・判断ミスが発生しそうでプレイに適さないだろう。毛髪や羽毛や草原のような描画が美しくなく、肌や平原の上にチリチリした何かが乗っているようなノイズの多い描画になってしまう。4Kテレビ(3840×2160)に出力したせいだろうが1600×900よりも1920×1080の方がシャープで見易い画質が得られた。
 ちなみに、1600×900では視覚的に厳しいものがあったため、1600×900およびそれ以下の解像度ではベンチマーク結果を取得していない。

VRAM 4GB, Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium, FSR: Enabled

 25 fpsという数字をどう捉えるかは人によるかもしれない。同程度のfpsだと支障の出るゲームもあるかもしれないが、Monster Hunter Wildsでは個人の好み次第かもしれない。コアなゲーマーだと30 fpsを切ると「プレイ不可能」とか言い出す人が多いが…Monster Hunterで25 fpsでそんなに困るかというと…個人的には疑問であるし、むしろLowestでは画質の悪さがプレイに支障が出るレベルだったが、毛髪や羽根や草原の表現の粗さが大幅に緩和され映像としては見易くなった。ただしベンチマーク終盤の集落(?)の場面でも20fps前後まで下がり描画の滑らかさが失われたように、実際のゲームでは場面によっては極端にfpsが落ちる場面があるかもしれない。

VRAM Auto/1GB/8GB, Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium, FSR: Enabled

 同じゲームの設定で、BIOSUMA Frame Bufferの設定値をAuto・1GB・8GBの場合も試してみた。Autoの場合は描画のカクツキが目立ちベンチマーク結果の数値以前にプレイ可能とは言えなかったが、1GB・8GBの場合はパフォーマンス的にも画質的にも4GBの時と誤差程度の違いしか見られなかった。ただ、VRAM 8 GBの場合は、恐らくメインメモリー側が8GBに制限されるせいだろうが、途中でクラッシュしてしまい完走できなかった。

Configuration Results
VRAM 4GB
Resolution: 1920×1080, Graphics: Low
Score: 10817
Average: 31.84 fps
VRAM 4GB
Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium
Score: 8457
Average: 25.15 fps
VRAM Auto
Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium
Score: 8414
Average: 25.11 fps
VRAM 1GB
Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium
Score: 8458
Average: 25.33 fps
VRAM 8GB
Resolution: 1920×1080, Graphics: Medium
Score: (Did not Finish)
Average: 約25 fps

Benchmark 2 - Forza Horizon 4

 Microsoft Xbox StudiosのレーシングゲームForza Horizon 4は2018年に登場したタイトルのため要求性能は相対的に低めで快適にプレイ可能と考えられる。

  MINIMUM RECOMMENDED Test system
OS Windows 10 version 15063.0 or higher Windows 10 version 15063.0 or higher SteamOS
PROCESSOR Intel i3-4170 @ 3.7GHz
OR Intel i5 750 @ 2.67GHz
Intel i7-3820 @ 3.6GHz AMD Ryzen 7 7735HS @3.2GHz
MEMORY 8 GB RAM 12 GB RAM 16 GB RAM (UMA)
GRAPHICS NVIDIA GeForce 650TI
OR AMD Radeon R7 250X
NVIDIA GeForce GTX 970
OR NVIDIA GeForce GTX 1060 3GB
OR AMD Radeon R9 290X
OR AMD Radeon RX 470
AMD Radeon 680M

 さすがに7年前(Ryzen 7735HS/6800Hの登場する4年前)のゲームだけありCPUはもちろんGPUも最低性能は満たしている(参考:AMD Radeon R7 370 vs RX 470 vs 680MRadeon R7 250Xの結果が無かったため1ランク上のR7 370の結果を掲載)。
 ちなみに後継としてForza Horizon 4の後継としてForza Horizon 5(2021年)などがリリースされているが、要求性能もどんどん引き上げられており、Forza Horizon 4で推奨性能要件だったAMD Radeon RX 470がForza Horizon 5では最小性能要件となっているためRyzen 7735HSでは動かない可能性が高い。もっとも、Forza Horizon 5だとNVIDIA DLSSやAMD FSRがサポートされているため、解像度を落としてNVIDIA DLSS/AMD FSR/Intel XeSS等の超解像・フレーム生成技術による補間で高画質化するトリックが適用可能で、SteamDeckでも動作するようだ。ネイティブで動作するForza Horizon 4と低解像度でレンダリングしてFSRで出力したForza Horizon 5の画質の違いには興味があるところだ(現時点で未検証)。

 Forza Horizon 4にはセットアップの一部としてベンチマークモードがありfpsが計測できるのだが、特に画質設定を変更せずに完走できた。fps的には1920×1080の60fpsが好ましく見えるが、画面に表示される速度やコースの表示の見易さでいえば3840×2160の方が圧倒的で、恐らくレーシングゲームでは60 fpsも必要無いだろうから3840×2160で十分にプレイ可能と思われる。

Resolution Frame per seconds
1920×1080 60 fps
3840×2160 35 fps

興味深いことに、Forza Horizon 4のベンチマークではCPU Simulation・CPU Render・GPUfpsの内訳が表示されるのだが、1920x1080でも3840x2160でもCPU側のfpsは60 fpsを超えた。3840x2160で35 fpsになったのはGPUボトルネックになったためのようだ。

総評

 AMD Ryzen APUのゲーム性能という意味ではRyzen AI Maxで解決はしているのだが、いかんせん価格が高すぎる(搭載PCはUS$ 2000クラス。類似構成のPS5・Xbox SXなどのゲームコンソールがUS$ 600~700と比較して)。また、Nintendo Wii・Switchがウケたように、すべてのゲーマーが高性能グラフィックスを求めているわけでもないことを考えると、安価なAMD Ryzen APU(非Ryzen AI Max)搭載PCはゲーム用として優れた選択肢になりえるし、同種のCPUを使いValve・ASUSLenovoなどがゲームコンソールを出しているのも頷ける。本稿は、そのような状況を鑑みて企画され、紆余曲折を経つつもSteamOSの導入により一定の成果を得られたと考える。
 とはいえ、そもそもCPU偏重・GPU性能不足という状況が無ければ苦労も減ったはずなので、AMDには低価格なRyzen APU製品で、ゲーム性能を改善したモデル(例:CPUコア数を減らして代わりにInfinity Cacheを追加したモデル)などを期待したいところである。